教室関係コラム

2014.12.27

第438回日本皮膚科学会京滋地方会 宮地良樹京都大学皮膚科教授退任記念地方会

第438回日本皮膚科学会京滋地方会
宮地良樹京都大学皮膚科教授退任記念地方会
日時:平成26年12月19日(金)〜20日(土)
於: メルパルク京都  12月19日(金)
   京都タワーホテル 12月20日(土)

大阪大学大学院医学系研究科
情報統合医学皮膚科学
教授 片山一朗

 宮地良樹先生の退官記念京滋地方会に出席した。退官後は宮地名誉教授と呼ばれておられるようであるが、私と同じ卒業年度でまだ名誉教授という肩書きは早すぎると感じたのは私一人ではないと思うが、あらためて時の経過の早さに驚いている。宮地先生は私が研修医の頃から、京大のDTICカルテット(滝川雅浩浜松医大名誉教授など4名の若手京大皮膚科の先生方の頭文字からの愛称)に続く京大のRising starとして活躍されており、特に英語での発表や質疑応答は有名であった。またその頃から別の分野でも大変有名であった。(詳細は彼の現役最後の教本?である「紡ぐ言葉」のT教授、H先生の寄稿に詳しいそうである)。

「記念講演開始、座長は盟友古川福実和歌山医大教授」
 彼の様々な分野での活躍の軌跡は、先に述べた退官記念誌(紡ぐ言葉)やVisual Dermatologyの退官記念号(忘れ得ぬ患者さんたち)に記録されている。また今回の地方会でも多くの教授が出席され、口演、あるいは懇親会の席で彼の業績やエピソードを語られた。浜松医大の戸倉新樹教授はBad Yoshiki とGood Yoshiki (ちなみに時と状況によりBadとGoodが入れ替わるのは周知の事実)という名前で彼との思い出を語られ、あらためて彼の素晴らしいお人柄の一端を紹介された。私自身は彼が40歳(?)の若さで群馬大学の教授になられ、私が東京医科歯科大学の助教授として東京に異動してから特に親しくお付き合いして頂き、アレルギー関係の研究会でも良くご一緒させて頂いた。その頃からいわゆる「宮地本」と呼ばれる彼が企画編集された多くの教本に執筆させて頂いた。「よくまあ、次々とアイデアが出るものだ」と感心したのも懐かしい思い出である。彼の話では横積みにすると軽く彼の背丈を超えるそうである(この「宮地本」の意義も「紡ぐ言葉」のS教授の寄稿に詳しい)。下の写真は2002年EADVでプラハを訪れた時にたまたま奥様とご一緒の宮地先生とのスナップで懐かしい写真である。

その後私が長崎に移り少しお会いする機会は減ったが、2004年に大阪に戻ってからは「天王山カンファレンス」と名付けられた年一回の京大と阪大の研究会などで楽しい時間を共有することが出来た(リンク)。また2007年に古川福実和歌山医大教授と3人で対談した「病院皮膚科が生き残るために」(リンク)は今読み返しても宮地先生の先見性が随所に見られる。地方会では私もHomeostasisの二元論の観点から皮膚のリモデリングの話をさせて頂いた。 
 翌日は午前中の静かな時間に学会場近くの泉涌寺、雲龍院を訪れ、庭園や瞑想石を楽しませて頂いた。雲龍院本堂では女性が一人写経をされている姿が印象に残った。 

「神社のような霊気の漂う泉涌寺参道」珍しい下り坂で、目の位置が本尊に合うそうである。

「泉涌寺のおめでたい七福神巡りの色紙」

宮地先生は現在滋賀成人病センター院長職として相変わらず忙しい毎日を過されているようであるが、FBを拝見する限り、海外、国内でグルメを楽しまれているようで、同世代の仲間として心より「無事の退官」をお祝いし、お疲れさまでしたと言わせて頂きます。

リンク
>2013年 天王山カンファレンスを終えて
>2007年 病院皮膚科が生き残るために

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