教室関係コラム

2014.06.20

New York U.S.A 留学のススメ 梅垣

留学のススメ
Noriko Umegaki-Arao, M.D., Ph.D.
Laboratory of Dr. Angela M Christiano, Ph.D.
Department of Dermatology
Columbia University in the City of New York

New YorkのAngelaラボでの留学もあと2週間になりました。アメリカでの学会の折にNew Yorkまで足をお運び下さった片山先生、室田先生、田中文先生、山賀先生、そして今はワシントンNIHで活躍中の壽先生、ありがとうございました。懐かしい皆様とパブでビール(個人的にはブルックリンラガーがお気に入りなのですが)を飲むというのは、暑い真夏の大阪で飲むビールより一層美味しく思いました。この2年と少し、自分は何をやっていたんだろうと思い返していますが、一言でまとめると、引っ越しばかりしていました。NYに来て早々数ヶ月で家が火事で燃えて住めなくなり、慌てて引っ越し。やっと落ち着いたかなと思ったら、こちらで知り合った日本人の男性と電撃的に結婚することになり(自分でも衝撃的でした)、また急いでバタバタと引っ越し。都会なNYのミッドタウンに慣れてようやく眠れるようになってきたと思ったら、そろそろ帰国。とまあ、色々とありました。肝心の仕事は、ボチボチでした。2014年はこれまでの仕事をベースに、同僚と共同でグラントも1つ取ることができましたし、2014年のSID(アルバカーキ)のoral presentationの発表の後で、ボスのAngelaから”I am proud of you.”と言って頂いたのが、留学生活で一番嬉しかった出来事です。
せっかく留学までさせていただいたので、何かためになるような事を書きたいと思ってずっと考えていたのですが、1つだけ言えるとすると、もっとたくさんの先生方に留学を経験して欲しいと思っていることです。できれば、もっと多くの女性に留学を経験して欲しいと思います。ご家族で留学を経験される場合も多いと思いますが、できれば自分で職を見つけて現地で働いてみて欲しいです。アメリカでは日本と違って、物事がうまくいかないことの方が多く、日本ってなんと素晴らしい国かと改めて思います。しかもアメリカはトラブルがあればあるほど、さらにうまくいかない事が増えるという非常にストレスフルな社会で、毎日頭に来ることばかりなので、自分はこんなに怒りっぽかったっけ?と自問してしまいます。NYを走る地下鉄も各駅停車のはずの電車がアナウンス1つで突然急行に早変わりして、自分の降りたい駅を素通りされ、どこか知らないところで降りる羽目になります。みんなブーブー言うのですが、ま、しょうがないか、とすぐに諦めています。きっとこれがアメリカ(NYだけかもしれませんが)の生活を象徴しているように思います。もうこんなのはゴメンだと思う数々のトラブルを考慮しても、帰国前の自分は予想外にアメリカが好きになっています。今、私はAngelaという非常に優秀でガッツのある女性のボスの下で働いています。ここのラボの女性達はそれぞれがとても優秀なのですが、みんなのびのびと働きつつキャリアを伸ばて、家庭と両立しているのがとても印象的です。なんでみんなこんなに楽しそうに働いて、家庭の生活も楽しんでいるんだろうと、いつも不思議に思っていました。こちらでは、子供にかかる様々な費用は日本よりはるかに高く、住宅費は非常に高く、子供ができると部屋の数も増やさないといけない法律などもあって、日本のように6畳に家族全員で生活するというわけにはいかない仕組みになっているにもかかわらず、街を歩けばたくさんの子供がいて、妊婦さんもたくさん歩いています。産前はギリギリまで働き(私の女性の同僚達は予定日の1-2週間前くらいまで働いています)、出産後は3ヶ月もしないうちにすぐに復帰しています。ベビーシッターやデイケアもとても高く、自分の給料がすべて吹っ飛ぶくらいの値段なのですが、それでも気合で職場復帰するこちらの女性たちには頭が下がります。
アメリカに来てからも英語が思ったほど上達しないのにひどくがっかりし、日本語の本は読まない様にしようと思っていたのですが、昨年映画化された「永遠の0」を読んでからは日本人魂で頑張らねばと気合が入り、スタジオジブリの「風立ちぬ」を日本に帰ってからの楽しみにしています。今は柳田国男の「零戦燃ゆ」を読んでいます。面白いのは、太平洋戦争で大活躍した日米の戦闘機の開発製造一つとっても、日本とアメリカのフィロソフィーの違いがあって、今の社会の成り立ちにもそのまま反映されている、という観点です。零戦は高性能なうえ、日本人パイロットも優秀で開戦当時は向かうところ敵なしの大活躍だったところから話が始まります。零戦を超える機体を作らないといけないというところから、零戦を開発した堀越二郎の苦悩が始まり、後に日本本土を攻撃するB29などを開発したアメリカのグラマン社の試行錯誤が始まります。日本にはパワーのあるエンジンがなかったため、零戦は機体を軽くし、戦闘機やパイロットを守る防弾のシステムを極力少なくして、高性能の運動能力で優位に立つ攻撃重視の戦闘機だったそうですが、アメリカは、ならば大きなパワーのエンジンを開発して、防御のシステムをしっかり備えてずしりと重くなっても速く飛べる飛行機を開発しようとしていました。戦闘機の性能に何を優先するかという項目に、パイロットと機体の安全を優位に持ってこれる、アメリカ国力の底力とフィロソフィーを感じます。そこから何でもどんどん大きくなりすぎてしまうところは、またアメリカだな、と思うのですが。アメリカで生活してみて日本を考えると、日本は小さな島国で資源もなく人口も減ってきていて、アメリカとの違いを感じずにはいられませんが、日本人は素晴らしい質の仕事をし、素晴らしい生活を送れるシステムを作っています。医療のレベルも日本の水準の高さに誇りを持ちました。もし今の日本がアメリカに学ぶ事があるとすれば、何かを成し遂げるための目的の中に人が埋没してしまわないように、人を大事にするという観点なのではないかと思います。ここアメリカ(NY)では誰もが(ホームレスですら)不思議とプライドを持ってイキイキ生きているように見えます。こういうフィロソフィーを感じることができたのは、とても素晴らしい経験でした。
自分が日本に戻って何が変わるのか、何を思って何をするのか、今からとても楽しみです。素晴らしい機会を与えてくださった皆様に心から御礼を申し上げます。ありがとうございました

Acknowledgments

2014.6.20 Update

  • 社団法人日本皮膚科学会
  • 日本皮膚科学会中部支部
  • 日本皮膚科学会大阪地方会