2015年を迎えて:「葆光」―無心の知
大阪大学大学院医学系研究科
情報統合医学皮膚科学
教授 片山一朗
21世紀も、はや15年目となる2015年の新春を迎え、皆さん新たな気持ちで年頭の目標をスタートさせておられるかと思います。
私も、2004年に大阪大学に着任し、今年3月で在任期間が11年となります。私自身一つの施設に10年以上在籍した経験はなく、長崎大学の7年8ヶ月が一番長く勤務した大学になります。昨年の年末の同門会でも挨拶させて頂きましたが、10年以上の長期間、同じ施設にいますと、どうしてもその場に安住し、目の前の目標を達成する事のみに思考、行動が向かい、長期的な展望が描けなくなってきます、また組織論的にも色々と修理が必要な場所が出てきます。結果的に組織の衰退につながることが起こりやすくなります。
そして、その先にあるのは荘子(注1)、最近ではケン・ウィルバーのいう境界のない世界(注2)かと思いますし、西岡清先生から頂いた「遊」はまさにそのような世界に到達するための手段あるいは結果であると理解できるようになりました。毎年言ってきました、医学界、社会、そして世界をとりまく多くの問題も「遊」の考え方で生きれば些細なことになるのでしょう。無境界の世界に到達すると、すべて楽に生きて行くことができるということも私には重要な課題です。もちろんこれはあくまで私の個人的な考えであり、若い先生はまず世界の広さと自分の小ささを理解し、そして目の前に立ちふさがる高い壁を乗り越えて頂きたいと思います。そこから先に自分が本来やるべきことが見えてくるのではないかと思います。私も「遊」の世界、そして「無境界」の世界をめざし、今年も皮膚科学を楽しみたいと思います。
注1)荘子:逍遥遊篇より(抜粋)。
列子の飛翔はなお風に依存し、彼の超越はなお外に在るものにとらわれている。つまり彼の超越はまだ真に自由自在な絶対の境地には達していないのである。ところが天地の正常さにまかせ自然の変化にうち乗って、終極のない絶対無限の世界に遊ぶ者ともなると、彼はいったい何を頼みとすることがあるだろうか。 彼は、大自然の生成変化の極まりなきがごとく、一切の時間と空間を超えた絶対自由の世界に逍遥するから、何ものにも依存することなく、何ものにも束縛されることがない。
注2)立花隆「宇宙よりの帰還」最終章。エドミッチェルとの対話、司馬遼太郎。「空海の風景」、立花隆、司馬遼太郎「対談集」より抜粋。
月に行った宇宙飛行士は「神との一体感」など多くの神秘体験を経験し、地球に帰還後は伝道師やESP研究者などになった方もいるそうです。宇宙では精神が澄み渡り、Flicker-flash phenomenonとよばれる一瞬の脳の閃光現象を何度も経験するそうで、それは宇宙からの素粒子が脳の視神経回路に当たる事で生じるのではないかと考えられているそうです。私が今一番魅かれる考え方は「ケン・ウィルバーのいう境界のない世界、「無境界」であり、ミッチェルはそれを宇宙空間で突然湧き上がった神(キリスト教の神ではない)との一体感を感じた世界と述べています。
→出光美術館
http://www.idemitsu.co.jp/museum/index.html
→住友コレクション 泉屋博古館
http://www.sen-oku.or.jp/
大阪大学大学院医学系研究科教授 片山一朗
平成27年1月5日掲載