教室関係コラム

2015.02.26

第78回日本皮膚科学会東京支部学術大会

第78回日本皮膚科学会東京支部学術大会
会頭 横関博雄東京医科歯科大学教授
会場 東京京王プラザホテル
会期 2015年2月21〜22日
テーマ —皮膚科における再生を目指したあらたな展開—

大阪大学大学院医学系研究科
情報統合医学皮膚科学
教授 片山一朗

第78回日本皮膚科学会東京支部学術大会が2月21日から2月22日までの2日間、東京京王プラザホテルで開催された。会頭の横関博雄東京医科歯科大学教授、事務局長の井川健先生には御礼申し上げると共に、お疲れさまでしたと言わせて頂きたい。昨年の77回大会は東京が大雪に見舞われ、参加者が少なく、交通マヒに加え、帰宅できない先生も居られ、会頭の照井正教授が大変苦労されたという話を思い出したが、今年は2,000人近い参加者があったそうで、何よりだった。ただ日曜の東京マラソンと重なり、ホテルがとりにくかったという話も聞いた。学会そのものは大成功で、横関先生の会頭講演「発汗研究の歴史から見えてくる新たな皮膚疾患の病態」から始まり、日本の発汗研究の創始者である名古屋大学の久野寧先生、横関先生が留学されていたアイオワ大学の佐藤賢三先生の単一汗腺の単離に基づく膨大な仕事を紹介された。

海外からは横関先生と長年、親交のあるミュンヘン大学のThomas Ruzickaが「New development of Hand Eczema」,ボン大学のThomas Bieber教授が「Atopic Dermatitis :lessons from the pathophysiology for the management」を講演されたほか、東京大の水島昇教授が「オートファジーによる細胞内分解」、大阪大の澤芳樹教授が「心筋再生治療の現状と展望」のタイトルで、基礎、臨床それぞれの分野で最近大きな成果をあげておられる2人の先生からの素晴らしい招待講演があった。特にBieber教授は今後重症例や難治例に次々と新しい生物製剤が登場することでアトピー性皮膚炎の根本的な治療が可能になるのではとの話があった。IgEの関与しないタイプのアトピー性皮膚炎への効果や、Bieber教授がご自身のTextの中で引用されている、種井良二先生(東京都健康長寿医療センター皮膚科部長)の提唱されているSenile atopic dermatitisについても言及されており、アトピー性皮膚炎が小児にとどまらず高齢者においても今後問題となる可能性につき述べられた。この問題は私と獨協大学の片桐教授とが座長を努めたシンポジウム「高齢患者をどう治療するか?」でもとりあげたが、昨今ステロイドの内服、外用が漫然と行われている老人性紅皮症が増加しており、その病態の解析を早急に進める必要性を感じた。教室の田原先生が阪大の症例を提示し、原因や悪化因子を明らかにし、患者指導、適切な外用療法の指導や光線療法を組み合わせる事で、多くの症例が改善していく事を報告された。(T Helper 2 Polarization in Senile Erythroderma with Elevated Levels of TARC and IgE. Nakano-Tahara M, Terao M, Nishioka M, Kitaba S, Murota H, Katayama I Dermatology. 2015;230(1):62-9.)。 

祝辞を述べられるThomas Bieberボン大学教授

 シンポジウムは東京医科歯科大学皮膚科で研究が進んでいる再生医療、好塩基球研究、発汗異常、悪性黒色腫などのテーマを中心に興味深いプログラムが組まれ、どの会場も満員の盛況であった。特に高山かおる先生が座長を努められたフットケアのセッションと三浦圭子先生が座長を務められた「お茶の水診断カンファレンス」はテレビなどで放映された話題や大学横断的に進められている勉強会の成果が取り上げられ、医科歯科大皮膚科のパワーを示す素晴らしい企画,内容であったと参加者からお聞きした。その他皮膚科教育の再構築、女性医師支援をテーマとする企画も組まれ、皆さん総会に匹敵する充実したプログラムを楽しまれたようである。また懇親会でも高山先生が素晴らしいフラダンスを披露されたそうで、FBなどでも絶賛されていた。

またこの東京支部学術大会開催と時期を同じくして東京医科歯科大学皮膚科開講70周年を迎えられ、その記念誌が参加者に配布された。私も「よく遊び、よく研究した時代を振り返って」のタイトルで、以下のエッセイを寄稿した

「横関先生、東京医科歯科大学皮膚科開講70周年おめでとうございます。
私は平成2年7月から平成8年の6月までの6年間、東京医科歯科大学の皮膚科に在籍させて頂きました。前任が北里大学皮膚科であり、そのまま医科歯科大学の方に移動した記憶があります。当時旧館(?)の6階に医局と教授室があり、助教授室は8階にありました。着任した時は研究室も多くの実験機器が埃を被っており、西岡先生が購入された超遠心器のみが輝いていた事を鮮明に思い出します。西岡先生は着任早々に旧い試薬類を処分され、翌日神田川に魚が浮いたという話もよく聞かされました。私が着任時まだ横関先生は北里大学から河北総合病院に出向されていた関係で、免疫の研究をやっていたのは浜松医大から大学院の研究を終えられ、帰局されていた佐藤貴浩先生(現防衛医大教授)のみであり、二人で研究室の大掃除をし、クリーンベンチを入れ、細胞の培養を開始しました。しかし培養フラスコで増えてくるのは真菌ばかりでさすがに気がめいりました。しかしそのような中で帰局された山本俊行先生(現福島医大教授)がブレオマイシン誘導性の強皮症マウスモデルの作成、松永剛先生がいち早く導入されたPCR-Primer合成器を使い、接触皮膚炎の3次元培養にモデルでのサイトカインmRNAの発現をPCR法で検討する実験を始められました。当時は私もまだ若く良く助教授室に泊まり込み、実験をしました。大体夜、8時前に出前をとりビールを飲んでいると、よく西岡先生が合流され、そのまま近くの飲み屋に席を移し、研究や臨床の話で盛り上がりました。
 臨床的には当時、重症の成人型アトピー性皮膚炎がたくさん来院されステロイド忌避の問題も大きくマスコミに取り上げていた時期で、谷口裕子先生(現九段坂病院部長、塩田裕子先生)にはたくさんの症例を纏めあげて頂き、アトピー白内障やリバウンドの問題に関して素晴らしい仕事をして頂きました。また澤田泰之先生(現墨東病院部長)には膠原病患者の全身管理をやって頂き、たくさんの強皮症患者さんの治療を担当してもらいました。若い女性の皮膚筋炎患者や抗リン脂質抗体症候群の何人かを救命できなかった事も今となっては残念ではありますが、貴重な経験でした。このように臨床と研究に本当に充実した6年間でしたが、96年に長崎大学の教授に選ばれ、お茶の水を後にしました。」。
会期中に横関先生の還暦を祝う会が教室主催で開催され、多くの方が列席された。西山茂夫北里大学名誉教授からは 「汗」と揮毫された色紙が届けられた。

横関教授の還暦祝いの会。司会の高河慎介と奥様とともに。

大阪大学大学院医学系研究科教授 片山一朗
平成27(2015)年2月26日掲載

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