「まのあたり、あるがまま目をもて視ることこそ、
いと易きに似て、げに難しからずや」(北村包彦)
大阪大学大学院医学系研究科
情報統合医学皮膚科学
教授 片山一朗
日本における医療制度や医学教育の大きな変換の影響は地方から顕在化し、今、大都市にも及びつつ有ります。このような中での皮膚科の将来像は私にも、明確に答えられませんが、皮膚科専門医の治療が必要な皮膚疾患はニキビや脱毛、手湿疹など生命予後には関わらないが労働生産性など経済活動の低下に大きく関わる疾患から昨今、大きな社会問題となりつつある悪性黒色腫などの皮膚癌や先天性の難治性疾患など多くの患者さんがおられます。私自身、今年の始めに以下のような考え「皮膚科のように見る、診る、視る、観る、省るなど五感、時に第六感を駆使して診断を行い、治療を考えていく分野は当分AIも及ばないと楽観視していた皮膚科医も多かったと思いますが現実は、もっと早く進むと予測するのは私一人ではないと思います。「暗黙知」で代表される皮膚病の診断もAIが人と同じ経験則を持ち、学習能力を進化させれば、今の皮膚科学が根底から覆る日も近いかと思います。」を述べましたが、もう一度私の40年近い、皮膚科医としての歴史を振り返ると、皮膚疾患の正確な診断と適切な治療の提供がいかに難しいかを再認識しています。さらに次々と新しい輸入感染症や新規薬剤アレルギーが現れる皮膚疾患の診断は容易に見えて本当に難しいかと思います。今年の新入医局員の先生への言葉として挙げた、北村包彦先生(長崎大学で教授職、その後東京大学に転任)の言葉のもとになったゲーテの言葉が有名なFitzpatrickのDermatology in General Medicineの診断学の項の最初に述べられています。臨床医学もサイエンスであり、過去に蓄積された学問を理解し、新しい成果を取り入れ、つねに自分の頭で批判的に患者の皮膚を診、最善の治療を行うこと、そして、改善しない場合、カンファレンスや学会で徹底的に論議し、批判を受け、その成果を英語の論文で記録して行く姿勢が何より大切です。最近の学生や研修医は教科書も持たずに臨床実習に来ます。その疾患に関して質問し、またレポートを見ると皆さん判で押したように同じような診断名や治療法が返ってきます。Wikipediaで得た知識は署名のない無責任なものです。専門医を目指すのであれば原著にあたり、仲間や先輩と是非熱い議論を戦わせてください。皮膚疾患は治らなければ患者自身すぐに分かり、その皮膚科医の能力が判断できます。先ずゲーテの言うように目の前にある事象をあるがままに見ることがいかに難しいかを理解することから、新しい皮膚科医としてのスタートを切って頂きたいと思います。世界はガイドラインやアルゴリズムそしてAI医療ではなく、熱い血の通った皮膚と心を持つ人による医療を待っています。
『一昨年に亡くなられた詩人の長田弘さんは,若い頃,オートバイによるヨーロッパ縦断の旅に出られ,その紀行文のなかにこんな言葉を書きとめられました。《見えてはいるが,誰も見ていないものを見えるようにするのが,詩だ》
哲学を専攻しているわたしは,ここで詩といわれているのはそのまま哲学のことだと思い,体の芯から震えました。わたしは今日まで長田弘さんの書かれる文章の「詩」のところを,いつも「哲学」に置き換え,それらの文章を哲学の研究者にも宛てられたものとして読んできました。以下略』この言葉は「詩」を「皮膚科医の眼」に置き換えて見れば、まさにその通りと思います。
“What is the most difficult of all ? It is what appears the simplest: To see with your eyes what lies in front of eyes.”
(Goethe)
平成29年4月11日