教室関係コラム

2010.11.01

「コーチャン教授」の退官に寄せて

「コーチャン教授」の退官に寄せて

大阪大学大学院医学系研究科分子病態医学
皮膚科教授 片山一朗

 橋本公二先生、無事退官の日を迎えられ、心よりお慶び申し上げます。
 月並みな言葉ですが、愛媛大学教授、医学部長のみならず日本皮膚科学会、日本研究皮膚科学会理事長や厚生労働省研究班班長など本当に多くの激務を無事努めあげられたことおめでとうございます。素晴らしい研究の業績と共に、行政や学会運営の場でも先生は飄々とした、しかし説得力のある物言いで多くの案件の落としどころを的確に捉え、次々と解決策や新たな提案を示されることで日本の皮膚科学に大きな足跡を残されたかと思います。
 先生には大阪大学皮膚科に入局以来30有余年の長きに亘り、兄貴分として公私にご指導頂き、多くの楽しい思い出を残して頂きました。特に私が研修医の頃はオーベンとして、内科で研修をされた先生から全身管理の仕方や他科とのつきあい方など多くのことを教えて頂きました。大阪大学皮膚科には当時研究室が三つあり、先生は一研で、当時流行の先端であった天疱瘡患者のHLA解析を行っておられました。今から思うと先生は常に研究のトレンドを鋭敏に嗅ぎ取る特別な能力を持っておられるようで、その後の先生の研究は皆さんご存じのとおりで、短期間の間に、愛媛大学皮膚科学教室を世界的なレベルに育てられ、表皮の分化、再生医療、重症薬剤過敏症など世界的な業績を次々と上げられ、松山の地で大きく開花したと思います。また私が所属していた二研では当時狭い部屋にピーク時10人を越す人がひしめいていましたが、部屋頭が高安進大分医大名誉教授、その下に西岡清東京医科歯科大学名誉教授、新海浤千葉大名誉教授がおられ、いつも研究のピリピリした雰囲気が立ちこめていました。そんな雰囲気も「コーチャン」(佐野榮紀高知大学教授命名?)のニックネームで呼ばれておられた橋本先生が少し徳島訛り(?)のある大阪弁とともに入ってこられた途端、一気に和やかな空気に変わり、実験などで疲れた頃には先生の登場を心待ちにしたものです。先生はコントラクトブリッジなどカードゲームが滅法強いことでも有名ですが、その頃は麻雀が主流で、時に京大の先生と遊んだことも懐かしい思い出です。またこれも遊びの話で恐縮ですが、私は学生時代からモダンジャズが好きで、ジャズ喫茶に出入りし、好きなミュージシャンのレコードなど集めていました。ある時橋本先生もジャズが好きだと言うことが分かり、一気に親近感がましました。当時の教室主宰者であった佐野榮春教授は関西では有名なオーデイオマニアで、良く先生のご自宅で素晴らしい機器でレコードを聴かせて頂きましたが、いつも橋本先生がそばにおられ、オーデイオやレコード談義で盛り上がったものです。私が東京のほうに移動し、暫くお会いしない時期があったのですが、平成7年に先生が愛媛の教授に就任された一年後の平成8年に私も長崎大学の教授に招聘され、その後は西部支部で大変お世話になりました。今は西部支部も大きく様変わりしましたがその当時は多くの怖い教授が現役でおられ、中部や東京支部とは異なる西部独特の世界がありました。そんな中でも橋本先生は大阪時代と変わらないスタイルで遊びや勉強の指導をしていただき、本当にありがたく思っております。 退官後も忙しい日々が続くかとは思いますが、また昔の時代に戻り、楽しい時間が共有できることを願っております。

2010年11月1日 大阪大学皮膚科教授 片山一朗

  • 社団法人日本皮膚科学会
  • 日本皮膚科学会中部支部
  • 日本皮膚科学会大阪地方会