教室関係コラム

2009.02.15

KISARAGI-JYUKU

KISARAGI-JYUKU

大阪大学大学院医学系研究科分子病態医学
皮膚科教授 片山一朗

 今年の2月11日から13日まで、日本研究皮膚科学会主催の若手皮膚科医を対象としたセミナー「KISARAGI- JYUKU」が沖縄で開催され、我々の教室からも寺尾美香先生が参加された。大いに刺激を受けられ、モチベーションも上がったようで、御自身の研究のみでなく若手指導にも大いにその成果を発揮して頂いている。このセミナーは日本研究皮膚科学会理事長の戸倉先生の胆いりで始まったものであり、若手のチューターとの2泊3日の泊まり込みの中で各自の研究を発表し、徹底的に討論をするという企画である。免疫学会などでも同じようなセミナーがあるが、「KISARAGI- JYUKU」はチューターの講義のみでなく、自分の研究成果を英語でプレゼンし、徹底的に同じ世代の研究者と討論をする点で異なるようである。
 何年か前に私が研究皮膚科学会の理事の頃、当時の理事長の島田先生に最近のJSIDは口演、ポスター発表いづれも若手が十分に討論する時間が減っているようだと話をしたことがある。島田先生は昔から免疫学会や研究皮膚科学会の熱い時代を共にした仲間で大いに盛り上がった記憶がある。私の専門分野である免疫学が大きく発展する前後の時代はワークショップとして多くの研究テーマが、若手の座長の司会で時間を超えて徹底的に討論され、大いに勉強になったものだが、ある時期から分野を少し離れると、全く理解不能の時代となり、結果として、大きな会場で少数の研究者が討論するスタイルに変貌していった。
 今回参加した寺尾先生にセミナーの評価を聞いたところ、これは参加者が皮膚科の若手に限定されていたためかと思うが、自分の研究分野以外でも徹底的な討論の過程で何が重要か、どのような手法が自分の研究に取り入れられるか、そして何より同じ世代の皮膚科医が何を考え、どこに向かおうとしているかが分かり、大いに参加した意義があったと答えてくれた。
 昨今若い皮膚科医の研究離れや出産を契機に皮膚科そのものから逃避していく女性医師が増えているが、少なくともこの数年の研究皮膚科学会では多くの若い先生が出題し、「KISARAGI- JYUKU」に参加して、英語で討論できる熱い研究者が育っているのは心強い限りである。新しい学会の在り方を示していただいた戸倉理事長をはじめ、チューターの先生方には心より敬意を表したい。
 研究面と並んでこの数年我々の周りで問題となっているのが後期研修医の教育や先に述べた女性医師の離職をどう解決するかということである。臨床医学とは長い歴史の中で先人達が観察、経験し、記載・口承されてきた病態、病因、診断法、治療を現代に生きる我々が網羅的に評価・吟味し、理解することで目の前の患者の病気を治す事と理解される。スーパーローテートシステムの開始や日本語での記載が要求される訴訟時代の電子カルテの導入後、皮膚科を全く勉強していないローテーターや日々の診療に追われ、じっくりと古典的な皮膚科学を勉強する時間のとれない新入医局員をどう教育するかは全国の大学、一般研修病院でも大きな問題になりつつある。それに拍車をかけるのが専門医修得のための不完全な論文執筆後は全く論文を書かなくなる専門医(?)の増加やかつてはどこの大学にもいた使命感に燃えた皮膚科指導医の離職かと思われる。ここは「KISARAGI- JYUKU」に倣い、若い皮膚科指導医が専門医試験用の学会、論文指導だけでなく、本来の正しい皮膚科学を再教育する時期にきているのかもしれないと考える。
 モチベーションの高い次の時代を担ってくれる医師を学会全体で育てることで、皮膚科医が皮膚という臓器のスペシャリストとして、他科の医者と対等に討論し、医療の中で大きな役割を担い、医療経済の改善に貢献していける、そして先に述べたような基礎研究を志す若い医師のモチベーションが高まると考えるのは私に限らない。医局という組織のなかで同じ釜の飯を食うことにより、生涯に亘る良き師弟関係、同僚としての強い繋がりを構築でき、結果として、良質な医療を提供できたと考える我々の世代から見ると、今後医局に属さず、後期研修を終える医師の中には、医師としての根幹部分を十分身につけることが出来ず、本来の医師としての矜恃を理解しないまま、無為な日々を送る人が出てくるのではないかと危惧する。いまや70%を超える女性皮膚科医にも医師になった頃の熱い使命感を思い出し、将来の指導者を目指して大いに奮起していただきたい。

飢餓状況における粘菌集団の行動軌跡
東京大学 澤井哲先生のホームページより

2009年

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