教室関係コラム

2003.02.06

阪大100周年記念「皮膚科医見習い時代」

皮膚科学教室開講100周記念誌
「皮膚科医見習い時代」

元:長崎大学大学院医歯薬学総合研究科
皮膚病態学分野教授 片山一朗
現:大阪大学医学部
皮膚科教授 片山一朗

 皮膚科学教室開講100周年心よりお祝い申し上げます。私は昭和52年に佐野栄春教授の主宰される大阪大学皮膚科学教室に入局させて頂き、皮膚科医としてのスタートを切った関係で、今でも大阪大学が皮膚科医としての心の拠り所になっております。大阪大学には大学院と英国留学を含め昭和60年三月迄8年間在籍させて頂きました。今思い返すと当時の阪大は学生運動の嵐がようやく収まりかけた頃で、私の上は49年卒業の晒(現井上千津子)先生が一番若く、同期の吉間先生ともども新海、西岡先生という雲の上の先生に直接指導して頂くという今から考えると非常に幸運な研修医生活を送れたことに感謝しております。ただ朝型の西岡先生と夜型の新海先生にあわせるために研修医から大学院の頃は朝7時過ぎに家を出て夜は12時前に帰宅するというかなりハードな生活を送っていた筈なのですが、不思議に楽しい事ばかりが思い出されます。当時の阪大の皮膚科のSchreiberでは佐野教授がドイツ語で、西岡先生が英語で現症を記載されており、辞書を片手に勉強した事も懐かしく思いだされます。佐野教授の患者さんは膠原病、特に強皮症やMCTDが主体で、手指を見ながらpachydermischと言われることが多く、当時はsklerotischとの違いがよく理解出来ず、浮腫の有無で使い分けておられたのかと今思う次第です。また最近は研修医に現症を記載して貰う立場になりましたが、佐野教授に教えて頂いたドイツ語は部位や大きさを表現するのに実に優れており、また皮膚疾患の成り立ちを理論的に理解するのに役立ちました。可能なら勉強し直して復活させたいと思っていますが、カルテ開示の時代ではそれも不可能となったのが残念です。皮膚科入局後は臨床研修と平行して、皮膚の免疫学に関する研究をやりたいということで一年目から西岡先生(現東京医科歯科大学大学院環境皮膚免疫学教授)の直接の指導を受けることができ、それこそ臨床から基礎研究、人とのつき合い型迄手り足とり教えて頂きました。当時の研究室は2研と呼ばれ、狭い部屋に高安先生(現大分医大名誉教授)、新海先生(現千葉大大学院基質代謝学教授)、西岡先生、橋本先生(現愛媛大学皮膚科教授)がおられ、それぞれ指導されている院生や研究生が出入りされており非常に活気のある、またアカデミズムの香り高い雰囲気が漂う研究室でした。もっとも部屋は実験器具で溢れ、当時名古屋市大におられた吉川先生が残されていた毎日のゴキブリ捕獲数のグラフがその実態を物語るような研究室でした。また夕方5時を過ぎると佐野教授が2研に顔を出され、時にそのまま北の方面に席を移されることもありました。このように非常に楽しくかつ有意義な皮膚科見習い時代を大阪大学皮膚科で過ごせたことは私にとっては生涯の財産であり、それを許容して頂いた佐野教授をはじめとする先輩の先生方にあらためて感謝するとともに、その背景にある大阪大学の持つ歴史、浪速という風土をこの長崎の地で今あらためて思い起こしております。21世紀を迎え、皮膚科学は大きくその姿を変貌させようとしておりますが、次の100年も是非大阪大学皮膚科学教室がそのリーダーシップを執り、日本のひいては世界の皮膚科学の発展に寄与して頂くことを祈念してやみません。

2003年

  • 社団法人日本皮膚科学会
  • 日本皮膚科学会中部支部
  • 日本皮膚科学会大阪地方会