教室関係コラム

2010.12.10

大人のいない国から

大人のいない国から

大阪大学大学院医学系研究科分子病態医学
皮膚科教授 片山一朗

 本年度から秘書さんのご尽力で年報の発刊が半年早くなり、3月25日の今巻頭言を書いている。2週間前の2011年3月11日は1000年に一度の大震災が東北日本を襲った日として、日本人には消すことの出来ない記憶が長く残るものと思われる。震災当日は午後3時前に研究室の若い人と実験の打ち合わせをしていたが、何か目が回ると周りの皆さんが言い出した。私自身は何も感じなかったが、あとで知り合いの方に聞くとメニエールや脳卒中の発作かと思った方が多かったようである。
直ぐに医局のテレビを見ると、固定映像で海岸線が映し出されていたが、いつもテロップで出る各地の震度が全く画面に出ず、地震の規模も良く分からなかった。その後まもなくして大津波が防波堤を越え、家々を飲み込み、船を岸壁に押し上げる映像に変わった。その後の被害は想像を絶するもので、震度も我々が経験した阪神大震災の100数十倍の規模であったという。この原稿を書いている現在、原発事故もスリーマイル島のレベルを越えたとの報道があり、今後の動向は予測出来ないが、多くの犠牲者のご冥福を祈り、個人の出来る範囲で復興のお手伝いが出来ればと考えている。この間世界中から多くのお見舞いやサポートメールを頂き、あらためて、友人達の心遣いに感謝すると共に、世界の中での日本の占める大きさと世界の近さを再認識した。また連日、安全な場所で、一方通行の談話を述べる現民主党政府や原発関連企業トップの危機管理のなさと現場での命を省みず、復旧に頑張っておられる方々の意識レベルの差を報道で見るにつけ、我々、医療界でも同じ現象が進行していることを再認識している。
 大阪大学総長の鷲田清一氏と仏文学者の内田樹師の対談の中で、「日本には高度成長期の70年代を境に子供のような精神構造の老人と大人になれない子供だけの「大人のいない国」になってしまったと述べられている。その理由として、両氏は戦後生まれが大勢を占めるようになった日本人がアメリカの傘の中で周辺諸国から隔離された、精密な機械と規則の中で自分の権利のみ主張し、義務を果たさない、あたかも子供の判断力で行動すれば完結する世界(ガラパゴス化という流行語にもたとえられる)に安住するようになった点を挙げられている。昨今の医学部学生や若くして開業していく医師を見ていると両氏の意見に賛同したくなる現実が眼の前にある。
 そんな中、今年になり教室関連の会で、お二人の皮膚科名誉教授の先生にご講演をお願いした。両先生に共通したのは昔ながらの35mmスライドプロジェクターで、少し色の褪せたスライドを用いられて、御自身の基礎、臨床研究を長時間に亘り、後輩への継承を意識された情熱に溢れたお話を頂いたことである。私も含め最近の講演会はパワーポイントで作成された手の込んだスライドやアニメを用いたものが殆どであるが、多くは簡単にダウンロードが出来るようになった他人の論文からの引用やネットで集めたアンケート結果を元にした内容である。お二人の先生方の御自身で観察し、その結果を徹底的に分析し、自ら作図された図表を用いて作成されたオリジナルな論文をからのスライド写真を用いての講演との落差は大きく、まさに我々子供の世界で生きている者と、大人の社会で生き抜いて来られた両先生の凄さのあまりにも大きな差を認識した。やはり日々自身で努力して得た結果を世界に向けて問い、その中で本当に重要な本質を見抜く力を自ら身につける努力を継続し、若い次代の先生方に伝えていくことが大人になることだと考える次第である。

2010年

  • 社団法人日本皮膚科学会
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